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広瀬すずの彼氏に、僕がもしなったら

※妄想記事

 

一流の俳優や芸人は、若い頃からすでに佇まいそのものがエラそうである。エラそうな態度が彼らをスターにするのか、スターとしての素質にエラそうな佇まいが含まれているのかは分からない。しかしぼくの実感としては、やはり観客はエラそうでないスターはスターだと思いたくないはずで、そうしたエラそうであってほしいという観客側の願望と、それを敏感に感じ取る演者の間の絶えざる相互浸透によって、スター俳優や人気芸人と観客の関係が作られていくというところが少なからずあると思うのだ。

そういう意味では、広瀬すずは大女優への道を絶賛爆進中だと言って差し支え無いだろう。念のため言っておくが、ここでいう「エラそう」とは実際に彼ら俳優の人間性がエラそうなのではなく、あくまで俳優としてのイメージにエラそうな雰囲気が含まれてしまっているということであり、無論広瀬すず本人が不遜な人間だとは微塵も思ってはいない。しかし彼女の画面上の存在感には、得難いほどの強度がすでに備わっており、それらはネット上での彼女の語られ方やぼくが唯一まともに観た彼女の出演作品でもある「海街Diary」での扱われ方にも存分に現れている。ごく少ない観察範囲からの予測だが、女優としてのイメージと本人のキャラクターは、限りなく近いとぼくは勝手に考えているのだ。

ただでさえ高圧的な女性に苦手意識があるぼくにとって、そのような女性とまともに付き合っていけるのかということは、この1週間あまり大きな問題だったわけだが、ともあれこれから初デートである。女性との交際経験自体はそれなりにあったのだが、これまでとは大分様相が異なる。おそらく、ぼくが言われて嫌な気持ちになることも容易く言うのだろう。ちょっとでも気分を害せば、あからさまに態度を顔に出すだろう。しかしそんな事はもはやどうでもよい。ぼくとしては、広瀬すずの女優としての存在感が生身の女性としての存在感とそれほど相違無いのではないかという推測と、一対一の関係におけるある種の上から目線に浴びせられながら、初デートというミッションをつつがなく遂行することが出来るかといった事を検証・確認することが自分に課した責務と考えている。そんなことを考えながら、待ち合わせ場所へ向かうべく車のエンジンを入れた。

ぼくは基本的に同乗者に合わせて車中の音楽を変えたりすることは無い。現在カーステからは先週買った日本語ラップのコンピレーションがそこそこの音量で鳴り響いているが、彼女がこれを聞いたら一体どう思うのだろうか。「金出してCDと買うんですね」といった疑問をぶつけてくる可能性は当然あるが、こういった質問には慣れっこでもあるので、むしろ会話がはずむきっかけになって良いかもしれない。逆に危惧するべきはこういったことだ。彼女の年代から考えると「高校生ラップ選手権」が目下大人気でもあるので、意外にもラップを自然に受け入れ、下手をすると微妙なラップ談義に発展する可能性があるのだ。ぼくとしてはそれは避けたいところで、というのも僕はラップそのものには非常に関心が高いのだが、やや趣味が偏っていることもあり、ラップおよびヒップホップに関する体系的な知識はほとんど持っていないのだ。現にいま僕が耳にしているトラックもラップも実に素晴らしいものだが、どこの誰の楽曲なのかは全くわからない。さて、広瀬すずが仮にヒップホップ好きであった場合、車中でヒップホップかけている男が全くのヒップホップ弱者だとわかったら、一体どのように思うだろうか?ぼくの戦いはすでに始まっている。

しかしおかっぱだかボブだか知らないが、広瀬すず魅力としてあの髪型を取り上げないわけには行かないだろう。人の外見において髪型はその人物を表すもっとも端的な部位であり、本人の立場や意図も往々にして反映される。自分がイケていると考える高校生は茶髪なりパーマなりするし、かつての暴走族はリーゼントにすることで部族意識と社会への文字通りの憤りを示し、ビジネスマンは短く揃えた七三分けで清潔感を発露させてきた。髪型とは実に多くの情報をもたらすものだ。そう考えた場合、広瀬すずのおかっぱほど無内容な髪型も無いだろう。ハゲの坊主以上に情報が不足している。良いとかダサいとか言っているのではなく、その情報量の少なさ、意図の介入のしなさに純粋に驚いてしまい、それが彼女の女優としての器にどれほど関係しているのかといったことを考えずにはいられないかった。単に「地味な髪型」にすればその人間の地味さが伝わってくるものなので、特徴が無いというだけではあれほどの情報過少は生じ得ない。仮に今日だけで僕達の関係が終わるのだとしても、その謎だけは解きたいと思っている。

しかしこの髪型に代表される空虚感は、SNS時代を生き抜くにあたって不可欠な要素ともいえる。広瀬すずにしろ、前田敦子にしろ、深瀬慧にしろ、危うい空虚さとともに人気を得てきた人物は近年特に増えているように思う。僕自身はSNSは一切やらず、スマホでのネット閲覧も必要最低限しかしないのだが、だからこそ一歩引いた目で観察できるところがあるのだ。スマホで思い出したが、そういえばこの数週間彼女とLINEでのやりとりをする中でひとつ気になったことがある・・。まあいいや、会話に困ったらこの話をしよう。

 

そういえば一昨日、「マッドマックス 怒りのデスロード」のソフト発売日ではなかったか。僕は基本的に本やCDはリアル店舗で、DVDはAmazonで買う事が多いのだが、怒りのデスロードに関してはやはり購入体験もしっかりしていきたいところということでもあるので、あえてAmazonでの予約はせず、発売日を虎視眈々と待っていたのだ。それが数日前からこのような展開となり、イモータン・ジョー様の事すら頭からすっとんでしまっていた。赤信号を見つめながら今、ぼくは深く反省している。マッドマックスのことを忘れてしまっているという事実が、僕が平常心でないということを示してしまっている気がした。家からここまでは意外と緊張感は無かったのだが、この気付きによって勝手に胸が高鳴り始めたではないか。しかしこれは、忘れかけていたフューリーロードの熱狂が帰ってきた喜びの証なのかもしれない。むしろぼくが運転しているのは例のウォー・タンクなのかもしれないぞ・・。うん、それが良い。ぼくとすずは、マックスとフュリオサで良いのだ。実に簡単な話だ。きっかけなどなんでも良い。お互いの利害の一致によって仕方なしに始まった関係性が、徐々に絆に変わっていく。ぼくたちがそれを目指して何が悪いというのだ。もちろん今ぼくが走っているのは美しい砂漠ではなく、悪趣味な看板や無個性な住宅に囲まれたニュータウンのアスファルトだ。マックスが希望を信じなかったように、ぼくもこの世界には絶望しきっている。地獄めぐりを終えて、ぼくたちはいつでもここに帰ってくるだろう・・。マックスの再来が、ぼくを奮い立たせた。

 

 

 

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