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tofubeatsの倫理と安倍政権の精神(中尾賢司著:「ネオ漂泊民の戦後」感想①)

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中尾賢司「ネオ漂泊民の戦後」を読んで思った事

 

ざっくり言うと

  • 「ネオ漂泊民の戦後」で中尾氏は、1960年代ごろを境に日本は「前近代」から「近代」に移行したと説明する。そして、近代は女性を二つの方向に引き裂いて苦しめる時代だとする。80年代から現代にかけての歌謡曲の変遷、特にアイドルに注目し、上記の問題を象徴するものとして説明している。
  • 「ネオ漂泊民の戦後」の考え方に従えば、この問題を解決するには二つの方向性しか無い。つまり「①前近代に戻るか」「②近代を限界まで突き詰めるか」だ。
  • ①を政治というフィールドで意識的に行っているのが安倍政権、②を音楽というフィールドで無意識的に行っているのがtofubeatsだ。無論、リベラルかつ現実的なのはtofubeatsのほうである。

 

「ネオ漂泊民の戦後」は、画期的なアイドル評論本

 

ちなみに「ネオ漂泊民」の中では安倍政権もtofubeatsも一切触れられていなくて、そこは僕の勝手な感想ですよ。なんでこんな事を考えたかっていうと、最後の最後に「郊外」の問題を浮上させているじゃないですか。そこで一気にピンきてしまったんです。「あ、これtofubeatsの話だな」、と。

 

確かにtofubeatsは郊外とかニュータウン出身である事を結構意識している人物だと思うけど、連合赤軍から一気にそこまでいっちゃうわけ?

 

まずあらためて、「ネオ漂泊民」の内容を僕なりに説明しますね。いや待って。その前にね、あのKenzee観光の人がついに本出したってことで、僕は書店をうろついていて突然この本を発見したんで、そりゃあもう驚きましたよ。ブログはかなりの部分読んでいたので、何が書いてあるかは8割くらい検討がついていたんですけどね。でもまあ、数多あるアイドル評論本のなかでもトップクラスの論理的強度と射程を備えた一冊だと思いますよ。今後はPLANETSとかに行っちゃったりするのかなあ、なんて思った。
まあ、とにかくそんな本に何が書いてあるのか説明しますね。第一部と第二部で大きく二つに分けられています。第一部では、江藤淳「成熟と喪失」や森進一の「おふくろさん騒動」を参照しながら、戦後日本が前近代から近代へ移行していった事を説明している。そして、岡田有希子の自殺、渡辺美里の登場、AKB48の活躍を例にとり、近代と前近代の狭間で引き裂かれている現代の女性を描写しています。
第二部では連合赤軍、特に永田洋子を軸に「近代になり、母と故郷を失った日本」を別の角度から、より広い範囲に向けて描いていく。

 

ブログでは中尾氏特有の対談形式でちょっとおちゃらけて書いたりしてたから、改めて硬い筆致でああいう内容を説明してもえると、なかなかの迫力だったね。

 

よく宇多丸氏とかコンバットREC氏が言っていることで、「ファンの勝手な幻想に苦しめられるアイドル」という問題があります。この本で中尾氏が言う「母の居場所が無いのに母である事を強要される現代の女性」というのはまさにそういう病理の根本的な構造を的確に示していますね。ただ、この「ネオ漂泊民の戦後」では、そういった現状からこの先どうなっていけば良いのかという展望が特に示されていなかったんです。いや、全然それはそれで良いとは思うんですよ。でも僕の中には、二つの方向性がそこに見いだせるんですよ。

 

それがtofubeatsと安倍政権だと。

 

 

安倍政権は日本を明治に戻そうとしている

 

まず、安倍政権が一体何を目指してるのかっていうと、簡単に言うと日本を明治政府の時代に戻したいんですよ。国内では強い家父長制によって秩序が保たれていて、外交的には武力をしっかり保持して国として強く独り立ちするんだ、っていうのをやりたいわけです。中尾氏の定義に従えばつまり、「前近代」に戻ろうという話ですね。軍隊が幅を利かせて父が権力をふるう社会では、女性は母として、自然の中に溶け込んでいけるわけですから。実際に戦前までは日本てそういう社会だったという事も本の中で説明されている。

 

うん、だからこそ川内康範は「おふくろさん」のアレンジを許さなかったんだという論理ですよね。

 

安倍政権がそういう考え方をもっていて、日本をより独立した国にしようとしている意志それ自体は全然良いとは思うんですよ。でもさ、流石に周辺諸国からの目線を一切気にしない今みたいなやり方っていうのはどう考えてもマズいし、憲法改正案とかみても、時代錯誤的なところは否めないですよ。「強い国」を目指すのは良いけども、2010年代に入った今どうやってそれを叶えていくかという程の、明確なビジョンが感じられない。

 

ただ少なくとも向こう4年は安倍政権が続く訳だな、、

 

つまり、もう日本は前近代には戻れないんです。当たり前ですが。少なくとも、女性を自然に溶け込んだ母と同一と考えるような社会になる事は無い。それはもはや未開社会に戻ろうという方向ですから。では女性達は近代と前近代で引き裂かれたままで良いのか。岡田有希子が自殺し、峰岸みなみが丸坊主にし、オタクが推しメンだけは絶対処女だと信じる社会で良いのか。無論そんな社会は続かない。

 

tofubeatsとアイドルの「構造と力」

 

そこでtofubeats。

 

はい。まあ僕はtofubeatsが高校生のころから結構ファンで、「High School of Remix」のCDも持っているくらいですから、マジで全然にわかでこういうことを言う訳じゃないですよ。tofubeatsは良くそのトラック制作能力がすごいとか、「ネット時代の申し子だ」とかいう評論があったりして、それはもちろんそうだと思う。でも彼は極めて鋭い文化評論というか、アイドル評論家としての側面を持っている事にここで注目してほしいんです。彼の昔からのテーマを一言で表すと、こういう事になる。
アイドルがアイドルらしい曲で歌うのでは無く、普通にカッコ良い音楽に乗せて、しかしアイドルらしさを失わずに歌ったり踊ったりしているのは、これ以上無く痛快である

 

tofubeatsのインタビュー(103件) - 「なんでアイドル好きなの?」 - ザ・インタビューズ

 

「普通にカッコ良い」というのは、本格的なヒップホップとかハウスのビート、ってことだね。

 

いやもちろんね、tofubeats自身は一切政治的な事は考えてやってないはずですよ。むしろ彼ほんと頭良いから、下手にそういう事言わないようにしてるのよく分かるんです。だから僕が勝手にこんな事いうのは迷惑でしか無い訳だけど、ひとつの見方としてこんなのもあるよってぐらいの感じでいてほしいんですけどね。
つまり、ダンスミュージック、特にtofubeatsも得意としているハウスといったジャンルはその「機能性」にこそ美学の力点がおかれる音楽です。作曲者や歌い手の内面はほとんど顧みられる事無く、単にその曲で体が動くか、気持ちが乗って来るかという所で評価されてきたんですね。いわゆるアイドルにカッコ良いダンスミュージックの上で歌わせるというのは、アイドルを「機能」に開いていく、という事に繋がっていくんです。

 

つまり人間的で情緒的な内面を聞き手に意識させず、神経的な刺激を与えていくってことだね。

 

 

 

ハウスのような無機質な音楽性であるほど、例えば歌詞の中で「君が大好きだヨ」みたいなものがあったとしても、歌ってる本人が全然そんな事考えてる感じがしなくなります(実際考えてる筈ないけど)。つまりアイドル個人を完全に機能として、部品の一つとして考えることで、アイドルが「前近代的な母」の方向に引き裂かれる可能性を無くしていく事ができると思うんです。
実際、そういったアイドルの端緒であるPerfumeのファンは、「アイドルだけど今までのアイドルと何か違う存在」だったわけですけど、それはつまり彼女らの曲が中田ヤスタカによる本格的なエレクトロであったことが100%その要因なのは間違いないですよね。

 

確かに。Perfumeはファンも多い筈なのに、フライデーとかされても丸坊主にしたりしないもんね。

 

日本は女性労働力を機能と割り切れるのか

 

このtofubeats的なアイドル観を中尾氏の言葉に付け加えて「ポスト近代」として、安倍政権とは違うアプローチのひとつとして提案したいな、と思った。これが「ネオ漂泊民の戦後」を読んだ僕の感想です。
つまりこう。女性が母として自然に溶け込むのはもう無理だけど、結構女性の社会進出とか言われだしちゃってるし、何か意識高く生きないと駄目みたいな空気になってきちゃってる。そんな中で女性はどうあるべきか。江藤淳的な意味での自己嫌悪は粛々と受け入れて、自分はその場で一つの機能=役割を全うして、プライベートな時間だけは女性らしく、母親として生きれば良い。
もちろん女性の意志ひとつでは全然無理で、様々な条件を整えていかなければならないのだけど、それが何かというのはすぐには思いつかない。例えば日本はほんとダメな国で、北欧みたいに女性が大切にされる社会にはなりそうもないし、もしかしたら無理なのかもね。でも、tofubeatsの活動とかみていると、少なくとも音楽やアイドルの世界にはヒントになりそうなものがあるぞ、ということです。

 

うーん、まだまだ現実味がわく話ではないけど、なかなか斬新かもしれない。

 

あと言い忘れてたけど、tofubeatsは1990年生まれ。おそらく彼の親はすでに農村共同体で育った記憶がほぼ無い世代で、tofubeats本人からしたらそんなものはもはやファンタジーの領域ですよね。中尾氏が「あとがき」で書いているように、ある世代から下は、ニュータウンそのものが故郷になっていて、農村に対する憧憬は無いのだ、という事。無論現在活躍しているアイドルたちもそうだろう。僕たちは今や、郊外=ニュータウンという故郷を獲得したのだとポジティブに考えて、生存戦略を探っていくしかないんです。